吉田郡山城_広島の田舎から成り上がった毛利元就の本拠地!!

吉田郡山城は広島県安芸高田市にある毛利元就が本拠地とした山城です。

 

現在、建物などは残っていませんが、所々に当時のこん跡を見ることができます。

 

今回は吉田郡山城跡の場所や見どころなど、写真を交えてご紹介していきたいと思います。

 

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吉田郡山城跡の場所と駐車場

毛利元就は現在の広島県の安芸高田市にある吉田を本拠地にした戦国大名。

 

実際に安芸高田市を訪れたことのある人なら分かると思いますが、毛利家が吉田郡山城は中国地方一帯を治めていたとは思えないくらいの田舎にあります。

 

毛利元就は中国地方を手中にしても、生涯この吉田(安芸高田市)の吉田郡山城を本拠地とし続けました。

 

吉田郡山城跡に訪れて、その場所を確認して頂ければ、中国地方一帯を支配した毛利元就のスタートが、どれだけ小さなスタートだったのかという事が良く分かります。

 

吉田郡山城跡は広島市内から車で約1時間30分。

 

国道54号線を松江方面にひたすら北上していけば到着します。

 

途中の看板を広島方面からだと左に入り、時間に余裕のある方であれば、安芸高田市歴史民俗博物館の駐車場に車を止めて、郡山城跡一帯をゆっくり歩いてみるのがおすすめです。

 

安芸高田市歴史民俗博物館横の道を登っていけば、毛利元就墓所の入口があり、そこにも駐車場があります。

 

少しでも時間を短縮したいという時にはこちらの駐車場を利用すれば効率的です。

 

吉田郡山城の状態

郡山城跡は″跡″というだけあって何も建物は残されていません。

 

そして吉田郡山城は戦国時代の山城(砦のイメージ)なので、姫路城や熊本城のような江戸時代の近世城郭ではなく、一般の方がイメージしているお城とは異なります。

 

さらに、島原の乱がおきた時に徹底的に破却され、後に毛利家の墓所を山麓に移動させた時に、城跡の崩された石垣の石が沢山使われているので、城跡としての保存状態は良くないと言えます。

 

ただ、その中にも当時の姿を思い浮かべられる遺構が残っているので、今回はその辺りを中心に写真を使ってご紹介します。

 

何もない田舎の山城ですが少しでも興味を持ってもらえれば幸いです。

 

関連記事⇒実は仲良し!!織田信長と毛利元就の意外な関係!!

 

郡山城内写真

安芸高田歴史民俗博物館を少し進んだところにある、御里屋敷跡。

 

毛利元就の平時の居館があったとされる場所に毛利元就公の像があります。

 

毛利元就銅像全体図

 

銅像ではないので多少つくりは粗めです。

 

毛利元就像

 

そこからさらに進み、駐車場に車を止めます。

 

毛利元就の墓所入口にある鳥居をくぐってから5分程度歩くと、毛利元就の墓所に到着です。

 

毛利元就の墓所では、当時はハリイブキという木が墓石の代わりとなっていましたが現在は枯れてしまっています。

 

毛利元就墓所

 

毛利元就墓所の向かいにある『百万一心の碑』。

 

これは毛利元就が郡山城を拡張する際、姫の丸の石垣の中に人柱の代りに埋めたとされるものです。

 

しかし、当時の記録にその記載はなく、現物も見つかっていないため、その信憑性には疑問が持たれます。

 

個人的には『三矢の訓え』と共に、おそらく創作話だろうなと思っています。

 

百万一心の碑

 

墓所の横の登山道を登って15分~20分。

 

吉田郡山城跡の中心部に着きます。

 

下の写真は御蔵屋敷と二の丸の間に残る虎口(出入り口)と思われる石垣跡。

 

元々どれくらいの高さがあったものなのかは不明です。

 

吉田郡山城跡の虎口の石垣

 

最も大規模な石垣があったとされる三の丸。

 

今は、島原の乱の後に破壊された石垣の石が無数に転がっています。

吉田郡山城三の丸の破却された石垣

 

この写真だけ見ても石垣だったという想像がつきにくいですよね。

 

吉田郡山城跡の壊された石垣

 

でも、所々に石垣のこん跡が残っていて、木の根っこに隠れている石に近づくと、当時のものと思われる石積みが残っています。

 

吉田郡山城跡の石垣

 

二の丸から本丸を眺める。

 

麓の毛利元就墓所の改修工事の際には、この二の丸の石を運んだと記録されています。

 

吉田郡山城跡の二の丸

 

吉田郡山城跡の最高所。

 

本丸の櫓台があったとされる場所です。

 

毛利輝元時代には三層の天守閣があったとされていますが、現状を見る限り(広さ的にも)疑問符がつくところです。

 

関連記事⇒毛利輝元は本当に無能なのか?

 

吉田郡山城本丸櫓台跡

 

本丸櫓台から二の丸を眺める 二の丸(奥の看板)の周囲が石で囲まれているのが分かります。

 

吉田郡山城本丸から二の丸を眺めた写真

 

二の丸を囲んでいる石列。

 

吉田郡山城二の丸の石列

 

上の続き 左の途切れたところは三の丸に下りる通路になっています。

 

吉田郡山城二の丸の石積み

 

三の丸に残る石塁跡。

 

三の丸は郡山城最大の曲輪で、下記の写真のような石塁や土塁で区切られています。

 

吉田郡山城の三の丸にある石塁

 

まとめ

他にも毛利元就の長男・隆元の墓所など見どころが沢山あり、コースにもよりますがゆっくり巡って1時間30分くらいかかる城跡です。

 

吉田郡山城内の主要部分は発掘調査されないままになっていますので、発掘調査でもして、きちんとした考証の元に石垣が積み直され、整備されると人気が出そうです。

 

どこの城跡にも言えることですが、発掘調査が難しくても木を切って遠くから見て城跡だと分かるように城の輪郭を浮き上がらせるだけでもかなり印象が違ってくると思うのですが、それも難しいんですかね?

 

何より、本丸には毛利元就の住居があったとされていますが、スペースはかなり狭いので、ここで生活をするのは難しいのではないかと思います。

 

本丸部分だけでも発掘調査をして礎石や建物の柱のこん跡が発見されれば話が進むと思うのですが、山の上にある事も関係あるのか、発掘調査が行われる可能性というのは少なそうです。

 

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