西郷隆盛の本当の顔と銅像が上野公園にある理由!!

明治維新の三傑として有名な西郷隆盛は、新しい時代を築いた人物でありながら、西南戦争を起こし、新政府に対する反逆者として最期を向かえる人物です。

 

『新政府=天皇』に対して反乱を起こした西郷隆盛ですが、ではなぜその西郷隆盛の銅像が東京の上野公園に建てられているのでしょうか?

 

今回はなぜ上野公園に西郷隆盛の銅像が作られたのか?という事に迫ってみたいと思います。

 

また、西郷隆盛の奥さんがこの銅像を見た時に泣きながら取り乱したという話も伝わっています。

 

果たしてその理由とは?

 

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西郷隆盛

西郷隆盛は大久保利通、木戸孝允と並び、維新の三傑に数えられる人物で、薩長同盟の締結や戊辰戦争の軍勢の指揮など、その功績は計り知れないものがあります。

 

徳川幕府の重役であった勝海舟と会談をして、江戸城を無血開城させたというが最も有名かもしれませんね。

 

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そんな新時代を築くのに大きな功績のあった西郷隆盛ですが、新政府では大久保利通達との意見の違いから袂を分かち、参議を辞職して鹿児島に帰ってしまいます。

 

そして、鹿児島に帰った西郷は、不平士族たちに担ぎ出されるように西南戦争を起こし、明治政府に対する反逆者として最期を向かえます。

 

西郷の人望と明治天皇からの信頼

では何故、新政府に対して反乱を起こした西郷隆盛の銅像が明治時代に建てられたのか?

 

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それは西郷隆盛の人柄にあったと言えるのではないかと思います。

 

当時は廃刀令や家禄の打ち切りで不満を溜めた士族(元武士)が溢れていて、誰かがこういった士族の怒りの捌け口を作らなければ、新しい時代を迎えることができないのは明らかでした。

 

その不平士族に担ぎ出される形で、自分の命を預けたのが西郷隆盛で、自ら進んで『新政府=天皇』に反乱を起こした訳ではありません。

 

それを明治天皇をはじめ、大久保利通や木戸孝允も分かっていたのではないかと思います。

 

それは、西郷は西南戦争を起こしたことで『逆徒』という事になっていましたが、明治天皇が明治22年に西郷の汚名を解かれ、正三位の位を追贈したことからも分かります。

 

西郷隆盛は、明治天皇や周囲の仲間たちからの信頼が大きかったため、そのまま逆徒として埋もれることなく、明治維新の功績を顕彰されることになったと言えます。

 

上野の銅像は薩摩藩士が中心となって寄付を呼びかけ、集まった寄付金で建てられたものです。

 

西郷さんがどれだけ仲間から慕われていたかが分かる逸話ですね。

 

銅像はなぜ上野公園に?

上野公園には寛永寺という徳川将軍家の菩提寺がありました。

 

西郷隆盛と勝海舟が江戸城無血開城の会談を行った後、それに反対する徳川家の家臣たちが彰義隊という隊を結成して、この寛永寺に立て籠もりました。

 

この時には長州藩の大村益次郎が新政府軍の指揮を執っていましたが、西郷隆盛も軍勢を率いて彰義隊との戦いに参戦していました。

 

そして、現在の上野公園の西郷隆盛像がある場所が、西郷隆盛が軍勢を率いて攻め込んだ場所だとされています。

 

つまり、上野公園に西郷隆盛の銅像が立っている理由としては、彰義隊の戦いで西郷にもゆかりの深い土地であり、元々徳川家の所有していた寛永寺の境内という事で、明治政府が比較的自由に場所を使えたからではないかと思います。

 

西郷・妻の発言の真意

上野公園にある西郷隆盛の銅像は、最初、軍服を着た陸軍大将の姿で製作されていたと言います。

 

しかし、最終的には西郷隆盛が普段犬を連れて、野山で狩りをしていた時の姿に変更されたそうです。

 

西南戦争からまだそんなに時間が経っていない事もあって、いくら人望の厚かった西郷隆盛といえども、軍服姿の銅像というのは問題があったのかもしれません。

 

また、西郷隆盛の銅像の話をする時に必ずと言っていいほど話題に上がるのが、西郷隆盛本人の顔と似ているのかという事。

 

これは、西郷隆盛が写真嫌いで、写真が一枚も残っていないことから、よく話のネタになります。

 

一般的に私たち知っている太い眉毛に大きな瞳の肖像画は、キヨッソーネという人物が西郷隆盛の弟といとこの顔をモデルに描いたもので、本人の顔ではありません。

 

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さらに、上野公園の西郷隆盛像の除幕式が行われた際、会場にいた西郷隆盛の妻は、「うちの人はこげんなお人ではなかった」と取り乱したとされ、そのために上野公園にある西郷隆盛の銅像の顔は本人には似ていないという話になっています。

 

しかし、この時に西郷の奥さんが言いたかったのは、「主人は人前に出る時はきちんと正装をしていて、こんな浴衣姿で人前に出るような人ではなかった」という意味のようです。

 

確かに、西郷さんの銅像は親しみやすさはありますが、靖国神社にある大村益次郎の銅像等と比べると維新を成し遂げた人物の威厳が全く感じられません。

 

今では違和感はありませんが、当時としてはそれなりの地位のある人の銅像が正装ではなく、普段着の浴衣姿というのはとても異質なことだったのかもしれません。

 

それを残念に思ったのか、上野公園の西郷隆盛像と正反対の軍服を着た姿の西郷隆盛像が、故郷鹿児島には建てられています。

 

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西郷隆盛の本当の顔

先程の西郷隆盛の妻の「うちの人はこげんなお人ではなかった」という発言が、「うちの人はこんな顔ではなかった」という風に解釈され、西郷さんの顔は全く違うんだと思っている人もいるようです。

 

しかし、細かい部分はともかくとして、大きな瞳に太い眉毛といった、私たちのイメージする西郷隆盛のイメージはそんなに遠くないようです。

 

実際、生前に西郷隆盛と交流のあった人は、キヨソーネの描いた肖像画や西郷の銅像の顔を否定していないようですし、金子堅太郎という人物は、「若い頃に見た西郷の姿は上野の銅像にそっくりだった」と語っています。

 

そして、下記が西郷隆盛と面識のある床次正精という人物が描いた西郷隆盛の肖像画ですが、これは本人によく似ていると言われているそうです。

 

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銅像もどの肖像画もあんまり変わらないですよね(笑)

 

これを見ると、実際の西郷隆盛は、私たちのイメージからそう遠くない顔立ちであったことが分かります。

 

そして、建てられた当時は違和感のあった浴衣姿の銅像かもしれませんが、今となってはその浴衣姿ゆえに親近感を持たれ、多くの人から愛される存在になったのではないかと思います。

 

 

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